鈴本ヤンデレ研究所

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人魚姫がヤンデレだったら【後編】

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 お城にやって来た人魚姫のことを、王子様は手厚く歓迎しました。彼は足の不自由な人魚姫を、妹のように可愛がりました。

 というのも、もうすぐお城でパーティーがあり、その余興の歌を人魚姫に任せたかったのです。彼女のように美しい容姿と声を兼ね備えている女性を、王子様は見たことがありませんでした。




 いつものように歌の練習をしていた人魚姫は、何気なく王子様に問いかけました。




「そういえば、いったい何をお祝いするパーティーなのですか?」

「ああ、君にはまだ言っていなかったかな。結婚を祝うパーティーだよ」




 そう言って穏やかに微笑む王子様に、人魚姫はおそるおそる尋ねました。誰が誰と結婚するのか、と。

 王子様はさらりと答えました。




「僕と、僕を助けてくれた女の人がだよ」






 いよいよ結婚式当日を迎えました。以前のように船の上で催された結婚記念のパーティーは、人魚姫の余興の成果もあり、おおいに盛り上がりました。しかし、歌を終えた人魚姫の表情は暗いものでした。




 客人と談笑している幸せそうな王子様を、人魚姫は手すりにもたれて眺めることしかできません。
 花嫁姿で幸せそうに笑う泥棒猫が、憎くて憎くてたまりませんでした。今すぐ海に落ちて人食い鮫にでも食われてしまえば良いのに、と思いました。
 

 
 そのとき、人魚姫のお姉さんたちが海面から顔を出しました。
 一番上のお姉さんは、人魚姫にナイフを差し出すと、こう言いました。
 

 
「このナイフは、魔女からもらってきたものよ。これで王子を刺して、その血を足に塗りなさい。そうしたらあなたは、また人魚に戻ることができる」
 
 

 人魚姫は黙ってナイフを受け取りました。
 
 

 夜になり、人魚姫は裸足で王子様の寝室に忍び込みました。靴音で気づかれないためです。もちろん、手にはあのナイフを持っています。
 無事に忍び込むことができた人魚姫は、迷うことなく王子様を揺り起こしました。起き上がった王子様は、傍らに人魚姫がいることに驚きました。しかし、彼女の手の中で光るものを見るやいなや、その顔はみるみるうちに青ざめていきます。
 愛らしく笑う人魚姫は、王子様にこうささやきます。
 
 

「どうしましょうか。ここで私と一緒に死ぬか、それともあの女を捨てて、私と結婚式を挙げるか」
 
 

 王子様は困惑した様子で、その意味するところを尋ねました。
 人魚姫ははっとすると、恥ずかしそうにうつむきます。
 
 

「そうでした。事情をお伝えするのを忘れておりました」
 

 
 そう呟いたあと、人魚姫は急に真剣な表情になりました。
 

 
「どうかお聞きください。私は今日、あなたを殺さなければ死んでしまう運命にあるのです。けれどあなたのいない世界で一人生きるなんて、できません。
 ですから、あなたを殺したあと、私も海に身を投げて死にます。そうすれば私たちは、天国で永遠に一緒に暮らせますからね」
 

 
 冗談みなど少しも感じさせないその言葉に、王子様は息を飲みました。人魚姫の言っていることが、全て本当のことであると確信したのです。
 
 

「でも、私だって、あなたの望まないことはしたくないのです」


 
 王子様は頷きました。確かに王子様は人魚姫を妹のように可愛がってきたけれど、だからといって一緒に死のうなどとは思えなかったのです。
 


「一つだけ。王子様を殺さないで、私も生きられる方法があります」
「本当か?」
「はい。それが、先ほど申し上げましたように、あなたと私が結婚式を挙げることなのです」
 


 王子様は頭が痛くなりました。
 


「実は私は、あなたと結ばれるために地上に生を受けたと言っても過言ではありません。だから、あなたと結婚式を挙げることができなければ、私は泡となって死んだものと同じです」
 


 人魚姫は悲痛な表情で続けます。


 
「ですから、あんな女との結婚など今すぐやめてください。あなただって本当は、望んでなんかないでしょう? 政略結婚というものですよね。そうでもなければ、あんな雌猫と結婚なんて……」
「彼女のことを悪く言うな!」
 


 人魚姫はびくり、と肩を震わせました。
 王子様はベッドから抜け出して、その脇に立ちました。握りこぶしをわなわなと震わせ、刃物のように鋭い目で人魚姫を見下ろしています。
 人魚姫は、嘘、と繰り返し呟きながら、虚ろな瞳で王子様の胸元に掴みかかりました。
 


「嘘、嘘、なんで……なんであんな女のこと庇うの!? そんなにあの女がいいの!? あのとき本当にあなたを救ったのは私なのに!!」
「あのとき……?」
「溺れていたあなたを抱きかかえながら泳いで、海岸まで運んだのは私! 目を覚ます直前までずっと隣にいたのも私! あんな泥棒猫じゃなくて、この私なのに!!」
 


 人魚姫の瞳から大粒の雫が落ちました。王子様のスカーフを掴んでいた手を離し、喉元を抑えながら苦しそうに呻きました。
 


「許さない、許さない、許さない」
 


 肩で息をする人魚姫は王子様を突き飛ばすと、走って部屋を出て行きました。
 王子様も慌ててその後を追います。廊下の突き当たりの、妻のいる部屋の扉を開けました。
 すると、人魚姫が彼女に馬乗りになって、ベッドの上でその首を締め上げているではありませんか。彼女は苦しそうに、人魚姫の体の下で、足をジタバタとさせています。
 王子様が夢中で駆け寄ろうとすると、人魚姫は彼女に向かってナイフを振り上げ、叫びました。
 


「来ないで!!」
 


 人魚姫はナイフを振り上げた体勢のまま、王子様を睨みつけます。
 


「選びなさいよ! 私と結婚するか! 私と天国で結ばれるか! ……どちらも選ばず、この女を見殺しにするか!」
 


 人魚姫の血走った瞳が、王子様を真っ正面から捉えます。王子様は、悪魔との契約を強いられているような気持ちになりました。
 と、そのとき。王子様の妻の足の動きが弱くなり、とうとう動かなくなってしまいました。かろうじて肺の動きは確認できますが、意識を失っていることは間違いなさそうです。
 王子様は、美しい少女の皮をかぶった悪魔に向かって、声を絞り出しました。
 


「わかった。僕の命を渡そう。その代わり、彼女だけは……」
「そう、なのね」
 


 マリオネットの糸が切れたようでした。彼女はナイフを持っている腕をだらんと下ろしました。もはや王子様の妻の首に当てていただけの手も、滑り落ちていきました。
 


「そんなにこの女がいいのね」
 


 抑揚のない声で呟くと、ふらりとゾンビのように立ち上がりました。かろうじてナイフを握りしめ、一歩、また一歩と、王子様に近づきます。
 王子様は妻のために、逃げようとはしませんでした。悪魔は俯いたまま、思い切りナイフを振りかぶります。王子様の胸元に深く刺さったナイフの柄を伝って、血の雫が流れ落ちました。
 人魚姫は勢いよくナイフを引き抜きました。ばしゃりと音を立てて、彼女の白いドレスに赤い飛沫が飛び散ります。彼女がナイフを床に落とすと同時に、王子様は倒れました。
 床にできた血だまりは少しずつ大きくなっていき、立ち尽くす人魚姫の足元にまで広がってきます。彼女は膝から崩れ落ちました。赤い絨毯の上に、ぺたんと座るようでした。



 しばらくしたあと、はっとして、血の染みたスカートをめくり上げて自身の足を見ました。全身から血の気が引いていきました。
 


「嘘でしょう?」


 
 足先からくるぶしにかけてが、一枚の魚のヒレの姿になっていました。内ももの辺りはぬめりけを帯びて、互いにくっ付き合おうとしています。
 人魚姫は、一番上のお姉さんの言葉を思い出しました。
 


ーーこれで王子を刺して、その血を足に塗りなさい。
ーーそうしたらあなたは、また人魚に戻ることができる。
 


「……いや、いやよ、人魚になんてなったら、私……」
 


 人魚の寿命は人間の三倍です。お姉さんの言葉が本当ならば、今となっては、魔女の呪いによって泡となって死ぬこともできません。
 


「待って……」
 


 人魚姫は這うようにして部屋を後にし、迷いなく海に飛び込みました。しかし両足の内側同士は、みるみるうちにくっついてゆきます。ウロコも足首から足の付け根に向かって生え揃ってゆき、気づいた頃には、元の人魚のヒレに戻っていました。
 彼女は焦点の定まらない瞳で、海の向こうの空を仰ぎます。しかし、月明かりもない夜なので、暗くて何も見えません。
 


 人魚に戻った人魚姫は、いつまでもいつまでも、くらげのようにその場を漂っていました。
 
 
 
 終わり